母が子宮頸癌の転移で死を宣告されてから100日間。ウィーンへの旅行は叶わず。
yukaribkk
(60歳代・女性)
| 病気 | 子宮頸がん |
|---|
多くの方々がご自身、またはご家族にガンという病気を抱えて苦しんでおられると思います。
私が海外で仕事をしていたある日、母から突然”私はガンになってしまった”という1本の電話を受け取りました。
その日から私と母のガンという恐ろしい病気との闘いが始ったのです。
私は仕事を辞めて急遽母に付き添う為に帰国をしました。
何故なら好き勝手に生きてきた私は母に恩返しをすると決めていたからです。私は好きな仕事を失いました。
その時、子宮頸ガンだっと母は一度目の手術でガンは消えました、と思いました、が実は既に肝臓に転移していたのです。でも母と私はまだ”死”という事は考えてもしませんでした。
抗がん剤と病院通いの日々が続きました。しかし、ガンは消えることはなく、私と母はもしものことを考えていたのででしょう。イタリアに旅行に行きました。これが最後の旅行となりました。
帰国してからまもなく母は”死の宣告”を受けました。私は旅行好きだった母が海外にいた私と最後に一緒に行きたいと言っていたウィーンへの旅行を予約しました。
母は死の宣告のショックに耐えられず、精神も体力も日に日に衰えていきました。私は最後の望みをかけてガンセンターにセカンドオピニオンに行きました。
結果は緩和治療というものでした。私は毎日のように病院に通いました、そして決まって帰路には”もう生きたお母さんに、おかあさん!と呼ぶことが出来なくなる、あそこのお店もここ喫茶店にもよく一緒に行った”と何を見ても涙が溢れてきました。そして追い討ちをかけるようにショックに耐えられなかった母は認知状態になっていきました。私は心の中で母が”死”といものが分からなくなってしまえば良いのに・・・と思いました。
ある日先生から認知症の症状が出た場合は苦しんだ時には手足を縛ると言われました、もうそれは人間の道から外れています、医者は病気を治すのが仕事です、しかし、母は死を宣告されているのです。
貴方ならどうしますか?私はホスピス、つまり緩和治療を選択しました。緩和病棟はまるでホテルのようでした。飲酒、喫煙、帰宅、ペットの持ち込みは自由で、外出も許可を取れば普通病棟とは違い自由でした。母は”まあ、素敵!”とつぶやきました。母の精神は極限状態を超えていたのだと思います。
しかし、緩和病棟に入れるのは死の1ヶ月前です。どういう意味かわかりますか?自由に散歩などできません、お酒もタバコなど飲みたくも吸いたくもありません。、いえ、飲めませんし、吸えないのです、それが何もかも”自由”な緩和病棟です。しばらくして母は”家に帰りたい”と何度も哀願しました。
1度目は帰宅が叶いました、しかし、母は病院の方が楽だというのです。
母も私も精神的にギリギリの状態でした。病院ではお風呂も入れます、緩和病棟は痛いと言えば直ぐに痛み止めを出してくれます。治らない病気を治すのではなく最大限のに痛みを取り除く”治療”をしてくれます。
個室の病棟は付き添い様のソファベッドが置かれていますので私は何度となく泊りました、でもその病室は必ず誰もが死んでいるのです。”正常では泊れない”と思いました。
私は塩とお守り様をいつも持参していました。そしてそんなことがだんだん分からなくなっていく母に涙が止まりませんでした。覚悟はしていたのです・・・でも母は”ありがとう、泊ってくれて嬉しい”と弱弱しい声で言いました、また帰宅しても寝たままの母は”こうやって死んでいくのだね”といいました。
私は驚きました。母は分かっていたのです。私は大泣きしました、母に向かって”幽霊になってでもいいから私に会いにきて!お母さん!”
やがて母は家に帰りたいといわなくなりました、
やがて1日病室にいても会話がなくなりました
やがて母はモルヒネを打たれました、
私は眠りについた母を見て、少し外にでました。直ぐに電話がかかってきました、
私が病室に入るや否や母は行き息を引き取りました、その間わずか30分位でした。私は叫びました、今度は冷たくなったお母さんに向かって”お母さん!お母さん!”看護婦さんや医師の方も泣いていました。
その日は母が死を宣告されてちょうど100日目でした。
私は毎日日記をつけていました、そこにはウィーン旅行キャンセルと書かれています、私は母がもうダメと言うまでキャンセルはしませんでした。
私を始め、皆様も”覚悟”していたのです。覚悟ってなんですか?
その2ヵ月後に父が後を追うように心筋梗塞で亡くなりました。
私ははすきな仕事とかけがえのない母と父を1度に失くしました。
そして心療内科に通うようになりました。今もウィーンの最終予定表は母との隣にあります。今も書きながら涙が止まりません。
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