父が胃ガンで他界。亡くなるまでの2週間は貴重な時間でした。
まめっち
(50歳代・女性)
病気 | 胃がん |
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病院 | JA北海道厚生連 帯広厚生病院 |
私は幼少の頃に母をガンで亡くしましたが、幼かったため、母がなぜ病院から家へ帰って来たのか…なぜ起きないのか…なぜ皆が泣いたり暗い顔をしているのか…その意味が分からずに居ました。
むしろ、母が長く留守にしていた家へ帰って来た事に喜んでいたように思います。
大きくなるにしたがい、皆が悲しんでいたその理由を理解して行きましたが、あまりにも年月が過ぎて行っていたため【親を亡くして泣く】という感情はありませんでした。
それから30年以上が過ぎて、父に胃ガン(ステージⅢ)が発見され手術となり、胃の全摘出とリンパの一部を摘出しました。
しかし、ガンが癒着してしまって完全に取り除く事が出来ない部分があり、投薬や化学療法を含めてガンと付き合う生活が続きました。
3ヶ月に1回の検査と診察…変化の無いその度に【これであと3ヶ月は生き延びられる】と、そう言っていた父の言葉が今でも耳に蘇ります。
胃ガンの手術をして3年目…、3ヶ月に1回の定期検診の翌月、父に歩けない程の腰痛が起こり、左足に異常な浮腫みが現れ始めました。
残っていたガンが騒ぎ始め、リンパに入ってしまったためのものでした。
腰痛が出始めた時、運動不足が原因かと意識的に散歩などをしたり、整形外科に通ったりしていた父に、なぜガンの存在の重要さを諭して注意をしなかったのか…今では悔やまれます。
腰痛から1ヶ月過ぎ左足が異常に浮腫み始めて、これはもしかしたら…という不安が生まれました。
検査の結果、ガンの再発という事で即入院となりました。
私の家は、父が若い頃に開業した商店でした。
入院していた病院と店は近く歩いて行ける距離で、父は病院を抜け出しては店のレジに座って商売をし、夕方になると病院へ帰って行く…という生活でした。
看護師さんも医師も、父のこの行動には黙認だったようです。
今思うと…病院側のこの対応は、父の余命が長くなかった事を裏付けていると思います。
父は今までの知人の例もあって勝手に、自分の余命はあと2ヶ月だと思っていましたが…実際は、再発が発覚してから2週間という早く短い命でした。
余命宣告は、父は医師から受けていません。
私たち家族もハッキリとした余命宣告は受けていませんでした。
なので、大方1ヶ月~2ヶ月くらいだと認識していました。
店では冬になると郷土料理を作って販売していましたが、父の作るそれは大手ストアなどでも真似の出来ない素晴らしい味で、20年もの間毎年作られて皆から愛されるものでした。
ガン再発から父は、その作り方を1週間かけて私にシッカリと、手取り足取り教えてくれました。
私も必死に覚え、作り方を体得する事が出来ました。
そんな1週間が過ぎたある日、父はまた病院から抜け出し自宅に訪れて、自分の持ち物などの身辺整理や形見分けなどを自身の手で行って行きました。
その後あまり動けなくなり、病室に家族親戚を呼び寄せ、葬儀屋もその場に呼び、祭壇や霊柩車、式の運び、遺影など、自分の葬式に関するもの全てを自身で決めました。
【これで、やるべき事はほぼ終わった…】と、微笑んだ父の顔が忘れられません。
それから日に日に目に見えて衰弱して行く父…。
そんな父が亡くなる2日前に、私に郷土料理について最後の指示を出しました。
【最初に仕込んだ樽は、そろそろ出来てる頃だ。頃合いを過ぎると酸っぱくなるから、今のうちに水を切っておけ。2日経てばいい頃合いで食べられる】
私は父の言う通りに処理をして、その翌日に父の意識は無くなり、またその翌日…父は亡くなりました。
父が亡くなる時、私は熱がありダウン気味でしたが、ずっと傍に居ました。
少しウトウトしていた時、起きていた継母が、父の手が動いてるというので見てみますと…意識が無くなってから動かなかった手が、まるで私たちを手招きするような、何かを引き寄せているような動きをしていました。
思わず手を取り、私の顔を父の顔に近付けて声を掛けました。
しかし私はその瞬間…、あぁ…父はこれで逝ってしまうんだ…と感じ取り、優しく父に話し掛けながら首の動脈の動きを見ていました。
動脈は、だんだん動きが弱く小さくなり、間もなく動かなくなりました。
気がつくと、私のすぐ後ろには主治医の先生がおられ、私がその場を退くと父の瞳孔や心音を見て【御臨終です】とおっしゃいました。
その後、父の葬儀まで私は気丈に振る舞いましたが、お棺に釘を打ちつける時…気がふれたように取り乱して泣き出してしまいました。
人が死んだという事もショックですが、お棺に釘を打つという事に…残酷さと恐怖を覚えたのだと思います。
後で聞いた話では、私は、釘を打たないで!と泣き叫んでいたそうです。
火葬場では、皆に振る舞われる食事に、父が私に教えてくれた郷土料理を一緒に出しました。
亡くなる2日前に私に最後の指示を出したものです。
葬儀の日、奇しくも…ちょうど一番美味しく食べられる食べ頃に仕上がっていました。
今思うと、父はそれも全て分かっていて、私に出した指示は計算の上だったのかもしれません。
とてもとても濃い2週間でした。
ワケあって、父と離れて暮らした20年間。
そして帰郷して1年。
その1年間で、私と父は空白の20年を埋められるだけの濃い毎日を過ごせました。
更に亡くなるまでの2週間は、誰よりも離れて暮らしていたのに、心の上では誰よりも近くに居られた私と父の有り方そのままだったと思います。
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