Caloo(カルー) - 東日本大震災と同時期に卵巣がん発覚。泣いていても、何も変わらない。 : 病気体験レポート
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東日本大震災と同時期に卵巣がん発覚。泣いていても、何も変わらない。

星空日本一  (50歳代・女性)

オススメ: 2,811views 2015年06月15日投稿 17votes 0comments

2011年に未曾有の大災害、東日本大震災がおきました。 
国中を失意のドン底に落とし・・・私もニュース映像を見ては泣いてばかりいました。
 
でも、泣いてばかりいても何も変わらない。微力でも何か力になりたいと石巻市にボランティアに向かいました。
その帰り道、あまりの体調の悪さに病院に行き診察を受けました。
卵巣に腫瘍があり、ここでは手術出来ないくらいに大きくなっている・・・・と言う事で、神奈川県立ガンセンターに紹介状を書いていただきました。

診察の結果、おそらく卵巣ガンだろうとの事でした。
手術日をすぐに決めましたが、手術を受ける方が沢山いらして最短でも3ヶ月待ちの状態でした。

しかし手術までの3ヶ月間に、仕事を引き継いだりお世話になった方に挨拶したりできました。心の準備を整えるには私には必要な期間でした。

2012年、年が明けてすぐに手術となりました。
卵巣と子宮と大網膜を全摘出しました。
手術後16日間の入院、それから抗がん剤治療が始まりました。
これは2泊3日入院して抗がん剤治療を受け、三週間後にまた2泊3日抗がん剤治療入院を6回繰り返すというものでした。
私のオペを執刀してくださったのは、神奈川県でも名の知られた名医でした。たまたま、診察の順番で偶然に私の主治医になりました。
私を手術して、一年後に急逝されてしまいました・・・・死亡フラグが立っていたのは寧ろ私の方なのに・・・・人の命は儚いものです。
私は、神奈川県立がんセンターで手術・治療・現在も通院していますが、本当にこの病院で良かったと思っています。

手術した時より抗がん剤治療中の方が、肉体的にも精神的にも辛かったです。
髪の毛が副作用でどんどん抜け始め落武者のような自分を鏡で見て、病気になってから初めて声をあげ嗚咽して泣きました。

でも、大震災の時と一緒です。
泣いていても、何も変わらない。
微力でも、行動していたい。
抗がん剤治療が終わって髪の毛がベリーショートくらいに伸びた頃、介護初任者研修を受けました。
あと私の余命がどれくらいなのかは神のみぞ知るですが、特別養護老人ホームで今は元気に働いています。

東日本の復興とともに、私自身も少しづつ完治の道を歩みたいです。

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