Caloo(カルー) - 10代で左膝の骨肉種。再発のリスクはあったが温存手術を選択しました。 : 病気体験レポート
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10代で左膝の骨肉種。再発のリスクはあったが温存手術を選択しました。

ポンちゃん  (40歳代・女性)

オススメ: 463views 2016年02月15日投稿 6votes 0comments

17歳の時から左膝に少し痛みがあり続いていましたが、若さゆえ病院には行かずに過ごしていました。

初めて痛みを感じてから3ヵ月後位には痛みで歩きにくさを感じ、走る事も上手く出来ない状態に。
それでも病院には行きませんでした。
健康と言う言葉に全く関心が無かったからです。

痛みが出てから1年近く立つ頃には完全に走る事は出来ず、また痛みも強かったので早歩きすら出来なくなり
また痛みで自分の体が思う様に動かない事で常にイライラしていた気がします。

ある日、朝起きて立ち上がろうとした所に今までに味わった事のない様な激痛が膝にはしり、
そのまま立てなくなりました。
と言うより、体が全く動かせませんでした。
手を動かしただけでも皮膚で繋がっている膝へ激痛。
全く動か無くても常に激痛があり、救急車を家族が呼んでくれました。

救急隊の方に運ばれる時も救急車の中でも激痛に悶え苦しみ過呼吸に。
直ぐにレントゲンとCT検査を行い、腫瘍が出来ている事が判明。

放置していた分、腫瘍はかなり大きくなっていて膝の9割が腫瘍でした。
運ばれた病院(かなり大きな有名な大病院)ではこれ程の腫瘍を取り除く、また人工骨を入れるとなれば
ここの病院では無理だと言われ、まずは腫瘍が悪性なのか良性なのか・・・
検査手術を行い腫瘍を少し取り、検体にかけると言われました。

ただ病室が空いておらずその日は痛み止めの注射を打たれ、帰宅。
注射のおかけで痛みはありませんでしたが、
その効果もほんの数時間程度。

再び激痛に苦しみました。
病院からボルタレンサポ(坐薬)を貰っていましたが、全く効かず
毎日寝たきりの状態で痛みに悶え苦しむ日々。
痛みで睡眠すら取れませんでした。
動く事が出来なかったので介護用のオムツまで付けてました。

恥ずかしさと痛みでイライラが止まらず家族にも当り散らす毎日で、本当に家族には迷惑をかけてしまいました。

救急車で運ばれて2週間後、やっとベッドが空いたとの事で入院が出来ました。
入院した翌日には検査手術。正直、子供で無知だった為
手術さえすれば痛みから開放されると思っていました。
この時の病院からの説明では検査手術はここの病院で、
腫瘍が悪性だった場合はこのまま左膝から下を切断する手術を
良性なら腫瘍を取り除き人工骨を入れる為、他院へ移ると言う話でした。

この時に初めて足を切断しなくてはいけないかも知れないと恐怖でいっぱいになりました。
泣きじゃくり、切断したくないと泣き崩れました。

入院したこの日から新学期、高校3年生になりました。
学校に行きたくて、友達に会いたくて、
また足を切断した私を見て友達が気持ち悪がらないか・・・恐怖と不安しかありませんでした。

初めての入院と手術で夜は一睡も出来ませんでした。

手術当日、緊張で本当に泣き出しそうでした。
怖い・・・それしか頭に無かったです。
朝から浣腸をし、体の中の物は全てを出してから手術室へ。
TVの世界でしか知らなかった手術室・・・そのままでした。

緊張が解れる様に何か好きなアーティストの音楽でもかける?と看護師さんが声を掛けてくれたのにも関わらず、
緊張で「怖いです・・・」と会話にならない返事をしてしまったのを覚えています。
当時は浜崎あゆみの全盛期だったので、看護師さんが気を利かせてくれて流してくれました。

下半身麻酔なので腰へ麻酔注射。
看護師さん2人がかりで上に乗って来られて、動けない状態に。
ただ腰への麻酔は痛い!と聞いてましたが、思ったより痛くはなく
正直、上から看護師さんに抑えられなくても我慢出来る位でした。

手術は1時間足らずで終了。少し腫瘍を取っただけなので。

そのまま結果が出るまで入院でした。
退院でも良かった様ですが痛みが強いので、すぐに痛み止めの注射が出来る様にと。

4日ほどて腫瘍の検体結果が出て、病室に先生が来られて親御さんに連絡をと言われました。
嫌な予感がしました。

その日の夕方に親が来て一緒に診断を受けました。
結果は悪性手術の骨肉種。足を切断する必要があると言われました。

私は頭が真っ白になり、その後に先生が何を話していたのか正直覚えていません。

ただただ「いや、切断したくない」を小声で繰り返し言っていた気がします。
何でもっと早く病院に来なかったのか、痛みに気付いていて親に相談しなかったのか
全て後悔しかありませんでした。

ふっと記憶が戻ったのは母が「切断の話は少し待って下さい」と先生に言った一言でした。

母も涙を堪えていたのを覚えています。
切断しか方法がないのか、切断しなくても良い手術方法、治療方法は無いのか・・・先生に聞いていました。

先生からは「100%断言は出来ないけど、骨肉種の人の体を切断せず人工骨で治療する先生が大阪に1人いらっしゃるけど、再発の可能性もある」とおっしゃっていたのを
母はその先生の所へ1度診てもらいに行きたいと
必死でお願いしましたが、その先生は
整形外科の名医で一般の患者はみていないと返答。

私はガッカリしてすぐに諦めましたが母は食い下がらず、その日からその先生に診て貰えないかと
病院にまで行き、手紙を書いたりしたそうです。

毎日、その先生がいる病院へ行き先生と面会出来ないかお願いをして、やっと先生と面会が出来
お話しする事が出来たそうです。

先生からの返答は即答で「手術やりましょう」だったそうです。
直ぐに私はその先生がいる病院へ転院し、入院。

初めて先生に会った時に先生から優しく「足は残すからね。また絶対に2本の足で歩けるからね」
嬉しくて泣きました。

ただ私の膝への人工骨を入れるには相当な量の人工骨がいるとの事で、手術まで1週間は待ちました。
人工骨が集まり手術が出来る様になったと伝えられた翌日には手術が行われました。

予定手術時間は3時間。2度目の手術とあり、初めての時よりは少し落ち着いて手術に向かえました。

まずはがかかっているので痛みは無くても、引っ張られたり
何かを入れ込んだり・・・感覚は分かります。
金槌みたいなので薄い人工骨を何枚も重ねては打って・・・の繰り返し。
予定時間よりも大幅に遅れて5時間で手術は終わりました。
病室に戻ってからはまだ、体を動かす事が出来ないので麻酔がかかっていない右足で左足がちゃんとあるのか
触っては確認を繰り返していました。

その先生が言うには基本、骨肉種は切断をする。
これが本来の治療だそうです。

ただ先生は切断をし、体の一部が無くなった患者さんを沢山見てきて、何とかならないかと
温存治療を始めたそうです。

再発のリスクも説明を受けました。
再発は5年間は要観察で退院後も2ヵ月に1度は定期検診でレントゲンと診察をうけていました。

この手術から15年が経ちました。今は再発の恐れは無いとの事で、定期検診は終わっており、骨肉種で病院に掛かる事はありません。

ただ人工骨を入れる手術なので、いつかはすり減りまた人工骨を入れる手術を15年~20年のサイクルで受けなくてはいけません。

このすり減り方はどれだけ大切に骨を扱うかによって変わるそうです。
スポーツをする方はすり減りが早いらしく、また正座や和式トイレ等もすり減りに関係するそうです。

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