[症状・来院理由]
酷い混乱状態だったため。
[医師の診断・治療法]
薬物療法。
[感想・費用・待ち時間・看護師などスタッフの対応]
私が、この病院に入院したのは、2001年4月から、7月ま...
[症状・来院理由]
酷い混乱状態だったため。
[医師の診断・治療法]
薬物療法。
[感想・費用・待ち時間・看護師などスタッフの対応]
私が、この病院に入院したのは、2001年4月から、7月まででしたので、あまり参考にならないかもしれませんが、書かせていただきます。
私が、入院したときは、ひどい混乱状態でしたので、当然、保護室に入れられました。そこは、外から鍵がかけられ、トイレも自分で流せないような四畳くらいの部屋でした。壁や床や天井は、緑色のリノリュームのような素材ですべてつながっており、蟻の這い出る隙間もなく、水洗いしやすそうな感じでした。
便器は、銀色の金属性で、とても冷たく、「頭を冷やせ」という意味で、冷たい素材にしたのかなと思いました。トイレットペーパーは、ありました。(最初は、意識がなかったので、オムツをつけられていました。)
寝床は、布団で、ワタキューセイモア社製でした。
保護室時代は、時間がたっぷりありましたので、私は、布団に書いてある「WATAKYU SEIMOA」のロゴを眺めて、これは、何を意味しているのかと真剣に、考えてしまいました。「ワタクシを、キュウメイ(わたくしを救命)」するから、「WATAKYU SEIMOA」?とか・・・。
そうこうしているうちに、私は、薬を飲まされて、深い眠りに落ちていきました・・・。
そして、目が覚めると、激しい渇きが、私を襲ってきました。私は、「水をください~」と何度も叫びましたが、その晩は、夜勤の方々が忙しかったのか、水は、持ってきてもらえませんでした。
また、夜に用を足したら、自分の排泄物が、あまりに臭くて辟易したこともありました。(おそらく、自分で水を流せるようにすると、ジャージャー流してしまう人がいるから、外からしか流せないようになっているのでしょう)
保護室は、最初は、とても静かでした。でも、しばらくすると、にぎやかな人が隣の保護室に入ってきました。
私は、その人に影響を受け、騒ぐようになりました。気分的には、楽しかったです。感覚も変化し、鉄格子の小さな窓を通して流れ込む夕日が、黄金に見えたり、銀色の金属の便器がプラチナブロンドに見えたりもしました。
私の保護室体験は、ここで終わり。保護室が居心地がよくなったころに、私は、一般病棟四人部屋に移動。そこは、不快でしたので、すぐに、二人部屋に移動させてもらいました。二人部屋では、一日中寝たきりで、ゆっくり休めました。
そして、入院生活にも慣れ、居心地がよくなったなと思ったころに、主治医に「退院してもいい」と言われました。保護室時代は、「退院させてくれ」とどんなに頼んでもだめでした。それが、「ずっと入院してもいい」という半ば諦めの境地に達したとたんに退院の許可。
人生の不思議を体験した入院体験でした・・・。
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2001年04月来院
/
2012年09月投稿
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待ち時間 |
10分〜15分 入院 |
薬 |
ピーゼットシー |
料金 |
300,000円 |
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