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いつの間にか改善したうつ病。相性の良い病院を探す事が大切。

シセル  (40歳代・男性) 2014年07月22日
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病気
うつ病
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気が滅入る・不安

昔から、自分を責めがちでうつ病の性質を持つ子供だったと思います。

それでもなんとか乗り越えてきたのですが、仕事で状況が変わった時に「死にたい」と思うようになりました。
ぐるぐる死にたい思いと、体の重さだけを感じ、

その頃は心療内科も精神科も行ったことがなく、

「わざわざそんな所にいくなんて大げさだ」とか
「精神科になんか行ったら、親に申し訳ない」など

思っていました。

ですが、「こんなに辛い思いをしているのはおかしいのではないか?自分の精神状態はおかしい、先生にみて欲しい」と自分で病院を探して行く事にしました。

その頃同居の両親は、まさか自分がメンタル的に参っていて死にたいと思っているなんて気づいていなかったと思います。
この時、「誰もわかってくれない」と思っていましたが、エスパーじゃないのだから当然ですよね。
自分で言えばよかったのです。

精神科はたくさんの人がいて歯医者のような雰囲気を感じました。
わぁーー!っと叫んで出て行く男性などいましたが、良くも悪くもみんな見てみぬふり。

最初の病院はいわゆる、威圧的な態度の中高年の男性医師でした。

そして何度か通った際
何時間も待たされ、座ったとたん前回までの間どうだったかも聞かず「じゃあ同じ薬を出しておきます」と。

これだもの、多くの人が改善せず薬漬けになるはずです。
思わずカッとして「これで終わりですか?」とだけ聞きました。

するとムカッときたのか「文句があるのか?」と高圧的な恫喝するような言い方。
文句も何も、何なんでしょうこの医師は。
「二度とこない!」と医者に向かって腹を立て、怒鳴ったのはこの時一度だけです。

今となっては叫んでいた男性の気持ちがわかります。自分の流れに反すると即効カッとなる医師なのですから。

その日にすぐ、病院を変えました。
それが私にはキーポイントになりました。
本当は紹介状などなければいけないのでしょう。

ですが、このまま帰るわけにいかず、帰り道に電話帳と携帯で検索して予約を取った病院が
自分にピッタリだったのです。

その先生はその時の年齢で60代中ごろだったでしょうか?
とても物腰の穏やかな先生でした。

そして、そこに2週間おき、1カ月おきに通い1年でよくなって行きました。

欝の際、働かなければやっていけないので働いていました。
仕事中は普通の顔をして、家では体が重くずっと寝ていました。
風呂に入るのも、着替えるのも体が重かったです。
いつ治るのかな?と漠然と考えていました。

それから、これをご覧のうつを治したい方に言いたいのは
「鬱病だから辛いよね」と傷をなめあうだけのネットなどを出来るだけ見ないようにして欲しいです。
やはり引っ張られます。そして、本当に直したかったら、ブログに「今日は○○を何錠飲んだ」などと記録や他者へのアピールに熱中するのではなく、「そのうち、自分がうつに飽きたら治るさ」程度に思って欲しいことです。

それから、欝は調子がよくなっても必ず薬を飲むこと。
今日飲んだ薬が今日効くわけではありません。数日後、2週間後などに影響するのです。

そして「よくなったから、そろそろ薬を止めたいな」と思ったのが通院1年頃。
それから「本当によくなりたいから」と半年薬を飲みました。通院は計一年半です。
(その頃は一ヶ月通院になっていました)

もう長いこと…8年9年ぐらいでしょうか欝の薬を飲んでいません。
それでも不安になった時一度だけ行きましたが、それも一度きりでした。

うつ病は「お前の心が悪いからだ、甘えだ」ではなく、やはり脳の働きと(これは薬で改善させて)、自分を追い詰めて責めすぎる部分にあると思います。
自分の考え方を見直す機会にもなったと思います。

うつは内臓や外傷などの外見の技術を伴う病気ではありません。
医師の合う合わないは如実に現れると思います。

先生だから偉いんだ、文句を言えない、言うことを聞かなきゃならないというより
「自分の体調をよくなるにはどうしたらいいんだろう?」と
自分と相談して、おかしかったら変える勇気も必要です。
(コロコロ変えるのもよくありませんが)

「いつ治るんだろう?」って思っていましたが、「そのうち治ったな」というのが今の感想です。
どうか焦らずに…。

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