私は子供の頃からお腹が弱く、よく下痢をしていました。
両親はただの胃腸が弱い子供だと思っていたようです。
小学生の時はガリガリで肋骨が浮いていましたが親は気にしていなかったようです。
学校の健康診断でも何も言われませんでした。
今でも覚えているのは体力測定で握力が19kgしかなかったことです。
女子よりも握力がなかったのでびっくりしました。
足も腕も細く、顔は青白く肌は真っ白でした。
時折貧血のような症状が出て保健室で寝ていました。
そしてよく風邪を引きました。
その度に今の方は知らないでしょうが、ブドウ糖の注射をされました。
今は点滴でしょうが、馬に注射するような特大の注射器で今と違い、針も太かったので怖かったのを覚えています。
そして中学生、高校生になり、身長は175cm、体重は52kgでした。
その間、ずっと下痢が続く日がほとんどで、まともな便は出ませんでした。
それでも両親はわたしの健康状態には注意を払ってくれませんでした。
しかし20歳になった時にそれは突然やって来ました。
お腹がいつもと違う痛さで、トイレに行ったところ、肛門から水がシャーと出ました。
あれ?何だろうとトイレットペーパーでお尻を拭いたところ、真っ赤な鮮血に染まっていました。そして便器を見ると、大量の鮮血がありました。便は全く出ていませんでした。
肛門から鮮血が出ただけでした。
私は急いでいつも診てもらっている江本先生の所へ行き、診察を受けました。
先生からは腸の内視鏡検査をするので、今日は食事を抜いて明日来てくださいと言われました。
そして翌日、腸の内視鏡検査を行いました。
検査中、先生がモニターを私の方に向けてくれて、潰瘍だらけだねー、ここまでひどいのは
珍しいよ。よく我慢してたね。と言われた瞬間、涙がこみあげてきました。
江本先生の腸の内視鏡検査の技術は非常に高く、腸壁を傷つける事はありませんでした。
私の腸は白くただれた円形状の潰瘍が数えられないくらいありました。
意識のある全身麻酔だったので、自分でモニターを見ていて、気持ち悪い、というよりもああ、このまま死ぬのかな・・とぼんやり思いました。
私が20歳の時ですから今から30年位前になります。(現在私は50歳です)
その時代には潰瘍性大腸炎の治療薬としてはサラゾピリンという薬しかなく、先生から説明がありました。
潰瘍性大腸炎は治癒するかどうかわからない厚生省(現在は厚生労働省)指定の難病で、治る人もいれば、一生治らない人もいる、また、最悪の場合は大腸癌に進行する人もいると言われました。
当時の治療薬はサラゾピリンしかなく、これを飲むしかないと言われました。
下痢止めは、劇薬扱いの強力なロペミンが処方されました。
ロペミンは長期間飲み続けると腸壁が薄くなっていきます。
しかしこれしか効かない、飲んでも効かないくらい私の潰瘍性大腸炎はひどかったのです。
家に帰った時、私の人生は一体これからどうなるのだろう、と失意でいっぱいでした。
しかし生きていかねばなりません。
私はその後、22歳で就職し、27歳で東京へ転勤しました。
転勤して医者(消化器専門医)が変わってからももサラゾピリンとロペミンは肌身離さず持ち歩き、飲んでいました。
私はシステムエンジニアをしており、ハードワークが続く日が多くありました。
そして仕事のストレスで潰瘍性大腸炎は更に悪化しました。
水を少し飲んだだけでも下血するようになりました。
水も飲めず、食事もできず、ついに倒れました。
その時は会社の寮に住んでいて、異変に気付いた同僚が病院へ連れて行ってくれました。
病院では脱水症状と栄養失調と診断されて点滴を打ちました。
それからは、調子が悪くなると点滴を打ってから会社へ行っていました。
点滴は静脈に直接栄養素を入れるので腸を通らず、非常に快適でした。
しかし、心のなかではもうそろそろダメか・・と思いつつも仕事は続けていました。
相変わらず食事をできるだけ抜き、おかゆやゼリー状の栄養飲料を食べていました。
会社の付き合いで居酒屋に誘われてもアルコールは腸に悪いので飲めず、楽しくないし、会社の忘年会でもお酒を断って、しかも美味しそうなもの(油物はNG)を食べれないので非常にストレスが溜まりました。
年に2回、腸の内視鏡検査をしていましたが、状況はあまり変わらず。。。
そうこうしている内に年月は流れ、35歳になっていました。
34歳で私はシステムエンジニアを辞めて、コンピューターとは全く関係のない職業に転職しました。給料は1/3になりましたがやりがいのある仕事で、ストレスは徐々に減っていきました。
35歳のある日、腸の内視鏡検査をやりました。潰瘍は全く見つからず消滅していました。
念のため半年後にもう一度、内視鏡検査をやりましたが潰瘍は全く見つからず消滅していました。
その頃になると下血はもう無くなっており、普通の便が出るようになっていました。
医者に確認すると潰瘍性大腸炎は治った、と思われます。との言葉に私は涙しました。
20歳で見つかり、ひたすらサラゾピリンとロペミンを飲み続け、それでも下血した日々。
私にとっての15年間は大腸癌になるかもしれないという恐怖との闘いでした。
現在は潰瘍性大腸炎の治療にも薬が多種類あり、良い時代になったと思います。
今思えば15年で治癒したという感慨と15年間食べたいものが食べれず、アルコールも控えなければならなかった日々が懐かしく思い出されます。
ただ、今でも腸は弱く、医師から処方された乳酸菌製剤とアメリカの乳酸菌サプリ、日本の乳酸菌サプリ、フラクトオリゴ糖を飲んでいます。
わたしの結論ですが潰瘍性大腸炎は結局、過度のストレスが原因だと思います。
思い切って転職してストレスを減らすのがいいと思います。
ご家族がいる方や家を購入した方は大変かと思いますが、過度のストレスをお抱えなら転職をお勧めします。
もしそれで収入が落ちて折角購入した分譲マンションや家を手放すことになってもいいじゃないか!と割りきってください。すごく楽になります。
あとは私のように生まれ故郷にUターンしてスローライフを送ることです。
お金は大事ですが、命のほうが大事です。
それが全てではありません。
家賃と食事と少しの贅沢ができればいい、くらいに考えると人生がまるで変わって見えてきます。
私は8年前に東京をリタイアし、生まれ故郷に戻りました。
年収はさらに減りましたがストレストなく生活しています。
色々な状況で人は生きていますが、ストレスをどう向き合うか(溜めないように)するか、それが潰瘍性大腸炎の治癒に繋がると思います。
※潰瘍性大腸炎の方は医療費の公費補助が受けられます。医師に聞いてみてください。
2017/2/9 追記 -------------------
上の内容は2015年に書きました。
潰瘍性大腸炎で悩んでおられる方が多いようです。
私の投稿を見つけていただいた方に、より正確な情報をお伝えしたく、私の勉強不足で間違った認識のある部分を追記にて修正したいと思います。
>潰瘍性大腸炎は治癒するかどうかわからない厚生省(現在は厚生労働省)指定の難病で、治る人もいれば、一生治らない人もいる、また、最悪の場合は大腸癌に進行する人もいると言われました。
現在では、潰瘍性大腸炎は完治しない病気とされています。
潰瘍性大腸炎になる明確な理由はわかっていませんので、厚生労働省の特定疾患で難病として指定されています。
私の個人的な見解では過度のストレスが原因と思います。
潰瘍性大腸炎の病状ですが、主に悪化と寛解(かんかい:一時的に症状が良くなっている状態)を繰り返す病気です。
ですから私は現在寛解期です。
転職してから仕事に慣れるまでは大変でしたが、その後潰瘍性大腸炎はぶり返しておらず、薬も15年ほど飲んでいません。
治らないのであればうまく付き合っていくしかありません。
まぁなんとかなるかなぁ位の気持ちでいかないとしんどいです。
余談ですが、意外と皆さん知らないものに「傷病手当」と言うものがあります。
病気が理由で退職した場合、以下の条件で最大2年間、勤めていたときの月給の60~80%を毎月支給してくれる制度です。
・健康保険組合に1年間以上加入していた。
・病気が理由で就業が難しくなった旨の医師の診断書が必要。
私の場合、潰瘍性大腸炎が悪化して退職したのですが会社も保険組合も「傷病手当」のことは何も教えてくれませんでした。
ですので、私は貰っていません。退職してからだいぶ経ってから知りました。
私の加入していた保険組合では80%給付してくれたらしいです。
実は34歳で退職した後、半年余り自宅で貯金を取り崩して療養していました。
再就職できるかどうかわからない不安はありましたが、辞めちゃったんだから考えてもしょうがない。ええい、なんとかなる!!と投げやりな気持ちでしたが、心は晴れ晴れしていました。
寝て起きて食べるだけの生活なので家賃+光熱費+食費+αでしょうか。
外食をせず自炊してできるだけ腸に負担をかけなさそうなものを摂って休養したのが良かったと思うのですが、そのうち体調が良くなってきて趣味の写真撮影に没頭していました。
会社へ行くときは太陽を浴びるとクラクラしてましたが、仕事から開放された充実感はすごくて、太陽の下、屋外で写真を撮るのはとても楽しかったです。
今から思うと、うつ病にも片足突っ込んでいたのだと思います。
社会人になると半年とか休暇取れませんから、もう少し休んでおけばよかった・・・と後悔するほど充実した時間でした。
さて傷病手当の受給を検討する場合、注意していただきたいのは、下記のような事前調査が必要かと思います。
・加入していた健康保険組に傷病手当の制度があるのか。
・医師が診断書を書いてくれるかどうか。
・実際いくら給付されるのか。
あと傷病手当の受給が決まった場合(退職後)、失業保険の休止が可能です。(傷病手当受給を終了してから失業保険の復活、給付申請がが可能です。)
つまり傷病手当を給付中は失業保険は止めておけるということです。
失業保険は休止申請しないと数ヶ月?で失効します。
詳細については調べて下さい。
それでは。