昨年9月5日に確認をしないで来た自動車(ホンダのレジェンド)に父が轢かれて飛び跳ねるように6メートルの道路を斜めに停まっていた車両に飛ばされてしまいました。
不運にも翌日の9月6日は、北海道胆振...
昨年9月5日に確認をしないで来た自動車(ホンダのレジェンド)に父が轢かれて飛び跳ねるように6メートルの道路を斜めに停まっていた車両に飛ばされてしまいました。
不運にも翌日の9月6日は、北海道胆振東部地震の影響で道内が停電で食事も食料も何も口にすることが出来ない日でしたが、前日にこの新都市病院に救急車で運ばれたのですが、整形外科の医師が停電復旧後の9月8日(土)の12時頃、家族に話があるということで、私(長男)が呼ばれました。そこで聞かされたのが、翌週月曜日『9月10日(月)の手術では大変危険が及ぶ可能性があると聞かされました。また、出血が酷い場合は輸血もしなくてはならないので、本人には私が説明し、説得させてください』といわれました。わずか2日で判断しなければならないのか?と思う反面、何故、担当の医師が直接本人に話さないのか疑問だったので、聞いてみると「本人に不安を与えたくない」と言っており、こんな説明あるのかな?と思った程です。そのまま放置しても、生死にも関わり壊死していくとのこと。左大腿骨骨折という事でしたが、本人と母に説明をし、なんとか手術も上手く行ったので、その時はホッとしました。
でも、11月の下旬に急にいつも通院していた新都市病院の循環器の医師が透析になるという判断で腎臓食に変えられました。
その後、12月はじめに、整形外科の担当医師に呼ばれ、『ここでの入院は来月7日(今年1月7日)までと言われ、その後五稜郭病院で透析の治療を受けてください』と言われました。
少し話が戻りますが、平成26年の心臓血管外科の担当されていた医師に腎臓の値が低いと聞いたのですが、その治療は必要か透析になるのかも確認しましたが、まだそのレベルにはないと言われており、造影剤を使用しなければ大丈夫だと言っていたので11月下旬に何故、腎臓食に何も言われないまま急に変えられたのか説明も受けられませんでした。
そこにも、何らかの垣根があるのか答えてくれず、担当医の言われるがままに、退院後も医師に確認を取った食事をしていました。
でも、五稜郭病院に透析について相談するように・・・と言われ紹介状も医師からではなく、病院の医療相談員からでした。
何が何なのかわからないまま、五稜郭病院に行きましたが、透析よりもシャントを入れてきちんと受けられるか確認をしてからの話だと五稜郭病院の10月中旬まで担当していた医師に言われました。
その間、リハビリも新都市病院ではなく、何故か他の医療機関で受けなさいと新都市病院の整形外科の医師より医療相談員を通して電話で言われ、やむを得ず掛かりつけの整形外科に紹介状をもらい、リハビリをしていましたが、左足(大腿骨の手術を受けた足)をかばうため、右足に負担が掛かり、右足の付け根が痛いと訴えていました。9月以降お尻から内出血が確認できたので、直ぐに五稜郭病院に受診させましたが、心配ないと話していました。
その後、父は、五稜郭病院に入院し、心臓のステントが壊れていると告げられていたにも関わらず、総合病院でも腎臓内科と心臓血管外科との垣根もあって、令和元年10月25日(金)に他界しました。
医師の態度って不思議で仕方がありません。
助かる命のそうならなかったという事実は変わりません。
受診時期:
2019年09月
投稿時期:
2019年11月
待ち時間:
30分〜1時間
通院 |
薬:
-
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料金:
-
※でも、退院後の食事内容や本人用の布団など家族が負担していました。 |
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